今回は「小説家になろう」の作者:左高例さんの作品紹介をします。
作者様、もし不快な点があればご連絡ください、すぐ対応します。
※ネタバレ含みますので、気になる方はご注意ください。
「吉良はなぜ何度も殺されるのか?」──答えは忠臣蔵という“文化スクリプト”だった。
年末の風物詩『忠臣蔵』。毎年、様々なメディアでリメイクされ、必ず討たれるあの「吉良上野介」。
だがこの物語、『オール・ユー・ニード・イズ・吉良』は、そこにひとつの“異常な問い”をぶち込んでくる。
「なぜ俺だけ、何度も殺されるんだ?」
討ち入りの夜、赤穂浪士に殺されるたびに“朝に戻る”吉良。逃げても、訓練しても、話し合っても、酒で忘れようとしても──全部死ぬ。
やがて彼は気づく。「これはもう忠義の物語じゃない。“俺を殺すために設計された舞台”だ」と。
そのうち見えてくるのは、
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討ち入りという正義が“脚本”であること
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観客も行政も「文化だから」と言ってスルーする狂気
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殺しに来る武林という“定型化された怒り”の実行装置
ついには吉良、特訓ループに入ります。「フルメタルジャケット」の如くウジ虫呼ばわりされながら鍛錬し、何十回も殺されて“記憶だけで上書きされたフォーム”を積み上げていく。
だがそれでも、構造そのものが“吉良が殺されるように”できている。
この物語の恐ろしさは、ただのギャグやパロディに見えて、文化構造への批評そのものになっている点です。
「なぜ吉良は毎年殺されるのか?」
その問いが、読者である“我々”にも返ってくる構造。
笑いながら読み進め、気づいたら「吉良を殺してきたのは自分かもしれない」と思ってしまう、恐ろしい文化の鏡。
この物語を読むことは、“忠臣蔵という日本神話を、斜め下から覗き込む”ことなのです。
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