「臭いは旨味の前に立ちはだかる神だ」──そんな狂信めいたセリフが自然に飛び出す今回の議題は、「臭いと味と錯覚の三連星」。
海軍式コーヒーの“塩味”という謎からスタートした話は、やがて「味覚=錯覚である」という地獄の方程式にたどり着く。
水がまずい? → 塩を入れて「薄いスープです」と脳を騙す。
酢がきつい? → レモンと割れば「健康ジュース」と脳が納得する。
シュールストレミング+クサヤ+ナンプラー? → 三位一体で鼻に死を届ける兵器。
この三連星、もはや嗅覚に対する戦術核。
だが、問題はここからだ。
**「臭いの向こうに旨味があるのでは?」**という禁断の問いを発火点に、
人類の味覚は「死体をどう処理してきたか」「腐敗をどう意味付けしてきたか」へと深化する。
中でも秀逸なのは、「NaClは化学的には中和しないけど、脳内で安心感を与える」という切り口。
塩とは何か? それは不味さを“何かの味”に見せかける魔法。
味覚とは、物質ではなく物語。
そして話は、レモン+酢=酸味が減ったように感じるという味覚の錯覚へ突入。
酸の量は増えてるのに「脳が再構成する」──味とは言い訳であり、詩であると明かされる。
最終章は人類史における最強の“臭覚三連星”──
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シュールストレミング(北欧の腐敗爆弾)
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クサヤ(日本の発酵煙幕)
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ナンプラー(東南アジアの魚霊汁)
それぞれ「単独でも地獄」でありながら、「混ぜたら文化を超越した何かが生まれるか?」という狂気の問いで締めくくられる。
結論:臭い・酸味・塩味。それらは味覚ではなく**“安心という錯覚”を発火させる装置**である。
この話、食事中には読まないほうがいい。
でも空腹時にも読んではいけない。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/07/31/080000