もし人生が将棋だったら?
そしてその将棋に、「課金ターン」「視聴者ターン」「政治ターン」「ジャンケン勝負」などの“理不尽ルール”が混ざっていたら?
今回は異世界なろう系小説に登場する「AIとの対話」描写から出発し、人間がAIに数千回のやり直しを強いられることで心が摩耗するという哲学的問い、そして現実世界の「理不尽システム」を“将棋っぽいクソゲー”に見立てて考察する流れに進みました。
そこで明らかになるのは、「努力すれば報われる」という前提が、いかに盤外要素によって崩壊するか。資本が入れば駒が増え、政治が介入すればルールが書き換えられ、視聴者が感情で叫べばターンがスキップされる。そして極めつけは、勝ったはずなのにジャンケンで負ける「運命ターン」。
勝ち筋は存在するけれど、全てを整えても勝てる保証はない。さらに翌年には「ルール刷新」で新たな名人戦が始まり、またゼロから構築し直し。それを“数千回トライして最適解を探る”なんて、控えめに言ってクソゲー。そう考えれば、勝ち続けようとすること自体が罠なのかもしれません。
じゃあどうするか?
答えは、「流れに身を任せる」こと。勝とうとしない人の方が柔軟で、精神的にも安定する。中庸こそが生命体として健全なポジションだという視点は、仏教やストア哲学にも通じるテーマ。
この対話の核心にあるのは、AIやゲーム、なろう小説という“虚構”を通じて逆に浮かび上がる「現実のしんどさ」と「希望のない勝利至上主義」への静かな反抗。それは、「みんなクソゲーに参加してるけど、勝つ必要はない」と笑いながら言える視点こそが、現代を生きる知恵なのかもしれない──という話です。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/04/24/080000