現代社会の「サイン文化」って、いつからこんなに呪術めいてきたのか──。
銀行書類、不動産契約、選挙、SNS署名運動、果ては国債まで。
そのどれもが「名前を書いた瞬間、責任が降臨する」世界で、
じゃあ逆に**「名前を借りたらどうなるの?」**っていう話から始まる、国家背乗り署名ギャグ。
・残クレの請求書を国会に回送してみる
・署名欄に「岸〇文雄」「安〇晋三」って書いておく(※ペンネームです)
・「だって、国の子どもなんだから、パパの名前書くの当然でしょ?」
──そんな遊び半分のフレーズが、
なぜか**社会の仕組みを皮肉る“正論ギリギリのミーム兵器”**に見えてくる。
免責バフが政治家やマスコミにだけ付与されてる世界で、
“署名した民間人”には広告、寄付要請、同意処理が飛んでくる。
つまり今の署名って**「名前書いたらお前が全部責任取る儀式」**になってるわけで。
だからこそ子どもじみた逆張りが刺さる:
名前を書くときは注意してね。
パパ、とびかけかもしれないからね。
この一文に詰まってるのは、
**「国家の親性」と「民意の幼児化」**のねじれた関係だ。
何も知らず名前を書く子どもと、
何も知らないふりして“代行するフリ”をする政治家たち。
どちらが大人で、どちらが責任者なのか?
──その境界を「ペンネームです」の一文で破壊してみた、
そんな“ミーム絵本”のような一篇です。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/07/26/080000