「節制? そんなもんは二期までの建前だろ」
2025年7月、アメリカ環境保護庁(EPA)が「自動車の温室効果ガス規制すべて撤廃」へと突き進んだニュース。
これはただの政策変更ではない。**地球規模のダイエットにブチ切れて、冷蔵庫を引きずり出した“怒りのデブ国家”**のやけ食い宣言である。
話はそこから拡張していく。
パリ協定、WHO、UNESCO──過去にアメリカが離脱してきた国際枠組みを振り返りつつ、今回のEPAの自爆はさらに深い意味を持つと我々は語る。それは**「科学的合意」からの離脱**であり、「法の魂」すら空洞化するプロセス。
そして導き出される比喩はこうだ。
「ガロンサイズのアイスを抱えてソファに沈み、我慢のリストを破り捨ててチートデイに突入するアメリカ」
制御を放棄し、他国の批判を“サラダ至上主義”と切り捨てるこの態度は、
「自由とは我慢しないこと」「国家が痩せる理由なんてない」という思想のもとに展開する“飽食主権”の誕生を意味している。
プロテスタント的禁欲(節制)を基礎に築かれたアメリカが、なぜこのタイミングで「ふくよかなる復讐」に転じたのか?
その答えは、「報われない節制」「信じていたルールの崩壊」「抑制をバカにした上流」──そして「T様再臨」にある。
節制は二期で終わる。
その禁を破った時、国家の腹は永遠に空腹となる。
これは、民主主義のダイエット神話が脂肪とともに溶け落ちる音なのだ。
飽食は魅力である。だから人は止められない。
気候も、科学も、制度も、「味がしなくなった」と判断された瞬間、胃袋が主権を奪う。
これは、国家規模の**“チートデイ解禁”回顧録**。
「こんな声、聞こえるでしょう? ──やめやめ、糞が!!!」
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/07/28/080000